カテゴリ:オペラ( 35 )
パトリス・シェロー ご健在です!
今日は友達としゃべっていたら、パトリス・シェロー演出、バレンボイム指揮の
『トリスタンとイゾルデ』 (今月7日のスカラ座公演) が動画サイトで見られると言う。
お~お~お~!
すっかり嬉しくなって帰ってきて、時間を忘れて見入ってしまった。
私が前に見た、ピーター・セラーズ演出の 『トリスタン』 を 「静」 とするなら
(↑今度来日する公演ね、)
パトリス・シェローのは 「動」 の演出。とてもドラマチックでした。
彼の演出はいつもそういう動きがしっかりあって、でも軽薄にならない骨太なところが
好き。
ついでに ARTE(仏独共同テレビ局) でインタビューなども見つけ
シェロー様を拝顔・拝聴いたしました!
映画のほうもまた面白い作品を出してほしいところです。

Hさん、教えてくださってありがとう~~~♪
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by veronique7 | 2007-12-16 21:26 | オペラ
ブリテン アルバート・へリング
新国立劇場のオペラ研修所、研修公演 『アルバート・へリング』 を観てきました。
ブリテンのオペラはとても好きなので、上演しているときは必ず
観にいくようにしています。

今回の作品は、『ビリー・バッド』 『ピーター・グライムズ』 『ねじの回転』
に見られるような、心理的な葛藤や抒情性を真正面に押し出したものとは違い、
皮肉やウィットをこめて大人を描くことで、子どもや若者の成長をうたう、
将来に対する希望を感じさせるオペラでした。

もともとの原作はモーパッサンの短編 『ユソン夫人の薔薇の樹』 だそうですが、
オペラの舞台設定はイギリス、演出家も指揮者もイギリス人でしたので
舞台装置もとっても "British !" な感じ。

ブリテンの音楽にもさまざまなパロディーが取り込まれ、
賛美歌やオラトリオふうのアリア、ワーグナーを思わせるような大げさなアリア、
映画音楽かミュージカルかと思うような旋律、いろいろな音楽が
楽しめました。
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by veronique7 | 2007-03-11 18:29 | オペラ
東京オペラプロデュース 『ルイーズ』
昨日、東京オペラプロデュース 『ルイーズ』 の公演を
観てきました。

もぎりで 「5番扉からお入りください」 と言われ、
よっこらしょ、と扉を開けたら、そこに H先生が。

「?!☆★☆◎○!?」
「あ~びっくりした。先生こんにちは。すごい偶然ですね。」
先生も目を丸くしつつ、
「veroちゃんなんでここにいるの?」
「だってフランスものやるときはなるだけ来ようと思って。
Mちゃんが出てらっしゃるんですね」
(以下オシャベリ続く)
ずうずうしくこの機会に仕事の宣伝なぞしてしまいました。

今回ばかりではありません、H先生は
(お会いしたいな~) とこちらが思っていると
ぴったり絶妙のタイミングで “出現” する方です。
ほんとうに神業な方です。
他のお弟子さんも似たようなことを言ってらしたことがあります。

さて、オペラの内容、今回はじめて知りましたが、
バロック時代のシャルパンティエと同姓の作曲家が
19世紀末(~20世紀初め)にもいたのですね。
ちょうど19世紀後半のフランス・オペラと、20世紀のフランスのオーケストラ曲の
橋渡しをするような、音楽でした(説明になってないけど…)。
ドラマティックであり、ちょこっとモダンなところもあります。

もちろん日本人ばかりの公演なので
フランス語に関しては、いろいろな問題点も感じましたが、
脇役の方でひとり、非常に発音の上手な方がいらっしゃいました。
ネイティブなのか、留学されたのかな。将来が楽しみです。
東京オペラプロデュースはフランスものを続けて企画しているようなので、
これからも行ってみたいと思います。
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by veronique7 | 2007-01-28 18:03 | オペラ
大野和士のオペラ・レクチャーコンサート
*****昨晩のコンサート*****

大野和士のオペラ・レクチャーコンサート
ビゼー作曲 『カルメン』 より
出演: 菅 有実子 他
於: 神奈川県立音楽堂

改めて 『カルメン』 を聴くと、
フランス語固有の抑揚の魅力をとても上手に引き出した音楽だと思う。
このうねるような節回しは、雑踏でのどよめき、デモ行進の決まり文句や
市場の売り子の声のなかに、私もたしかに聴いたことがあるものです。

急にふっと、立っている場所が分からなくなる。


*****

私もわずかながら制作のお手伝いをさせていただきました。
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by veronique7 | 2006-07-12 21:56 | オペラ
モーツァルト 『ドン・ジョヴァンニ』
モーツァルト 『ドン・ジョヴァンニ』 オペラ座にて
指揮 Sylvain Cambreling / 演出 Michael Haneke

ドン・ジョヴァンニは単なる女好きではないということがしばしば言われる。
でも、女好きでなかったら何なのか、という問いの答えは
あまり明確には与えられてこなかったようだ。

モーツァルトの 『ドン・ジョヴァンニ』 は現代消費社会を予告する作品だとわたしは思っていた。
次から次に女を奪い去っていくドン・ジョヴァンニは、
飽くことなく消費に走る (走らされている) 現代人にとても似ている。
消費行動が自己顕示に他ならず、その裏側に自己顕示によっても自我をたしかめられない
不安が隠れているところもそっくりである。
このオペラの圧倒的なテンポ感は、たえず湧き上がる不安や焦りに脈打つ
わたしたちの心臓の音のように聴こえてくる。

と思っていたわたしには、ハネケ監督の挑戦的な演出はとても面白かった。
設定を今日の大企業におきかえ、高層ビルのなかで起こる殺人事件を観客は目にする。
ドナ・エルヴィーラはかつてドン・ジョヴァンニと一緒に仕事をした同僚であり
ドナ・アンナは企業トップの娘で婿 (これがオッターヴィオ) をとることになっている。
ドン・ジョヴァンニのアシスタントであるレポレッロは、電子手帳を読み上げながら
上司ドン・ジョヴァンニに関する 「カタログの歌」 を披露する。
ツェルリーナとマゼットのカップルはビル清掃会社の社員である。

役員が社員を好き勝手に扱う残酷さ。
消費行動とは持てる者が持たざる者から奪うこと。
持てる (もてる) 者の驕り。傲慢さ。

ドン・ジョヴァンニは女たちを奪うだけでは物足りず、なんとこの演出では
マゼットの唯一のアリアまで奪って自分の歌にしてしまうのだった。
マゼットの素朴な歌がここでは、レポレッロにドナ・エルヴィーラを横取りされた
ドン・ジョヴァンニのかすかな嫉妬を表現する。

アリアの合間に吹き抜けロビーの大きなガラス扉を開けて、ドン・ジョヴァンニは
夜の高層ビル街の虚空をのぞく。
高速道路の車の音が聞こえてくるのみ。
その音は、自分の内なる深淵をのぞいている彼の不安や焦りのよう。

ドン・ジョヴァンニが繰り返す否定の « NO » はその深淵を否定する声である。
彼は自分で自分の生きている時間を拒絶し、不安や焦りから生まれる音楽を自分でさえぎり、
かくしてドン・ジョヴァンニの声は虚空に消えていった。

愚かで美しい音楽が終わる。

(追記)
レポレッロ役のルカ・ピザローニ。
5年ほど前に 『魔笛』 のパパゲーノを歌って、そのときはまだ少年のように
若い声をしていたのに、今回はすごく成熟したバス (・バリトン?) になっていた。
こういうのってとても嬉しい。
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by veronique7 | 2006-02-17 06:49 | オペラ
モーツァルト 『ザイード』
モーツァルト年の企画第一弾。
金曜日の夜から日曜日の夕方まで、シテ・ド・ラ・ミュージック
「モーツァルトと古典様式」 という集中講座に参加してきました。
2つのコンサートのほかに、土曜日と日曜日は朝から夕方までひたすら
音楽学者と一緒に遊んで学ぶ。

スタジオみたいなところで、コンピューターを使ってモーツァルトのセレナードを
4小節ごとに区切り、順不同で入れ替えて作曲もどき。
古典様式ってa-a’-b-aの繰り返しなので、入れ替えたところであまり
変化はないだろうと思いきや、人によっていろいろなバージョンになって意外や意外。
参加者のおじいさんがこわごわコンピューターを触るのもかわいらしく…。

音楽史の面から、伝記的な背景から、社会学的な背景から、楽譜を分析しながら etc. etc.
モーツァルトの古典様式についてくりかえしくりかえし考える。
バロックの影響を十分に受けながら古典様式を確立しつつ、のちのロマン派を予感させる、
感情表現のレトリック。
聴く人の予想を常に裏切りつづける発想の豊かさ。
モーツァルトの面白さや深さを十分に理解できるように、コンサートの内容を
素材として上手に取り入れ、配慮の行き届いた楽しい講座プログラムでした。
今までよりずっと、モーツァルトのイメージが立体的な奥行きをもつものになったと思う。
大満足で充実の週末でした。先生ありがとう!

13日 Lachenmann/Mozart
ラシェンマンの現代曲、モーツァルトの交響曲第40番、フリーメーソン葬送曲
演奏 Ensemble intercontemporain, Helmut Lachenmann (作曲家本人による朗読つき)
   Orchestre des Champs-Élysées
指揮 Heinz Holliger

15日 モーツァルト 『ザイード』
演奏 Orchestre de l’Opéra de Rouen/Haut-Normandie
指揮 Oswald Sallaberger
演出 Emmanuelle Cordoliani

『ザイード』 は未完作品なので、当時の流行であるトルコ趣味を取り入れた
『後宮からの逃走』 の下書きのように見なされてハッピーエンドで終えることが多いらしい。
今回はその視点に立たず、Singspiel というジャンルが夢幻劇や妖精譚の
要素をそなえていること (『魔笛』 とか) に着目した演出になっていた。
囚われの人ゴマーツが亡くなる (処刑される?) 前に見た最後の夢として、このオペラを
描きだす。
モーツァルトが筆をおいた4重唱のあとにフリーメーソン葬送曲を最終曲として追加。
オーケストラの演奏を背景に人物が一人ずつ登場し、
横たわるゴマーツのもとで弔いをしてゆく。
静かな美しい終り方だった。

ヒロインのザイードを演じたハタ・シゲコさんも軽やかで美しいコロラトゥーラ・ソプラノ。
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by veronique7 | 2006-01-16 07:59 | オペラ
ロッシーニ 『ランスへの旅』
日にちが前後してもう10日ほど前の記録です。

ロッシーニ 『ランスへの旅』 シャトレ座
指揮 Valery Gergiev / 演出 Alain Maratrat
出演 マリンスキー劇場アカデミー

マリンスキー劇場引越し公演第二弾。今回はシャトレ劇場でした。
ロッシーニってすごく難しくて歌手泣かせだと思うけど、若手歌手で
大丈夫なんかいな、と心配していましたが…
世界一の歌手養成所なだけあってさすがでした。
ものすごくよく声が出て、技術も高いし、ふだん一緒に練習している人たち同士なので
息もぴったり合っていて、ベテラン歌手にはない一体感や熱気が感じられ、
そして若い人ならではの爽やかさがロッシーニの清新さにふさわしく
とても好印象でした。
オーケストラも舞台の上に乗っていて、行き交う歌手たちの中から
指揮者のゲルギエフが現われ、旅行者のいでたちそのままに
ソフト帽をかぶったままで指揮を始めます。
もぅ。ゲルギエフおじさんってば出たがりダンディなんだから~。らぶりー。

このオペラはフランスのシャルル10世の戴冠式がランスで行なわれるのに
合わせて作られたオペラで、ヨーロッパ各国の人々がランスに向けて旅立とう
というお話。
グランド・ツアー・ブームや19世紀作家の間で流行した旅行記執筆、
それにヴィクトル・ユーゴなんかが提唱したヨーロッパ連合 (合衆国?) の思想
などがたくみに織り込まれた作品です。
各国の人々がそれぞれのキャラクターを生かし、お国柄を反映した歌を
歌う最後の場面がみどころ。
コリンナなんて、スタール夫人の 『コリンヌ』 そのままにハープに合わせて
即興で歌うので、フランス人にはお馴染みという感じでやんやの喝采でした。

オペラが終わってから帰り際に近くのおじさんが
「今の世の中 『王様万歳!!』 なんて言ったら 『だまれ!!』 と怒られますな。
さしずめ 『EU委員長万歳!!』 といったところですな」
といって周りの人の笑いをかっていました。
(上のユーゴの思想は、EUの概念のもととなったと言われているので)

ランスはシャンパンの産地で有名ですが、ほんと、シャンパンがパチパチと
はじけるような、年末にふさわしい楽しい仕上がりのオペラでした。
今年もあと少しですね。もう1回ぐらい更新できるかな~??
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by veronique7 | 2005-12-26 02:02 | オペラ
プロコフィエフ 『3つのオレンジの愛』
プロコフィエフ 『3つのオレンジの愛』 オペラ座
指揮 Sylvain Cambreling / 演出 Gilberto Deflo

カルロ・ゴッツィのコメディア・デラルテをプロコフィエフがオペラにしたもの。
「何をしても面白くない」 という憂鬱病の王子様。このままでは世継ぎにふさわしくないので
あれやこれやと手を尽くして王子が元気になるよう、道化が笑いをとろうとしますが
なかなか笑ってくれません。
ところが道化が魔女とけんかして打ち負かしたとき、王子は魔女のことを笑ってしまいます。
おかげで王子は憂鬱病から治るのですが、代わりに魔女は笑われたのを怒って
呪いをかけてしまいます。「3つのオレンジが好きになるように!」
かくして王子様は
「もういやだいやだ、王様(父親)と一緒に住んでいたら憂鬱病になってしまう~」
と言い残して (なんかどこかの誰かさんに似ているネ…) 3つのオレンジを探しに
道化を連れて旅に出ます。魔の国で見つけたオレンジを持って帰る途中
あまりに喉が渇いたのでオレンジを切ってしまう道化。なんとオレンジの中からは
「お水をくださいな」 と同じく喉が渇いて死にそうなお姫様が!!
ここ でゆっくり動くかわいいイラストレーションが見られます。
その後も紆余曲折あるのですが、最後にはめでたしめでたし、
王子様はお姫様を連れて帰って無事に王位を継承します。
というお話。

やる気のないウダウダちゃんが大好きなわたしは、いっぺんでこのかわいいおとぎ話を
気に入ってしまいました。
現代社会でなんとなく居場所を奪われがちなだらだらちゃんが
こういうところで息をふきかえして生き生きしているとなんだかうれしいではないですか。

王子を演じたのはチャールズ・ワークマンというテノール、容姿端麗で声も美しいのだけど
いまいち動きが面白くない、という端正な二枚目歌手でしたが、今回はかなり
演技の幅を広げたように思いました。
「ア~ア、ア~ア」 とポルタメントたっぷりに歌うアリアが、
暇をもてあまして人生の面白みを見つけられない退屈なあくびをよく表現していました。
憂い顔の寂しげなピエロのような王子と、元気溌剌な陽気な道化が
対照的で、悲劇のジャンルと喜劇のジャンルが混在した面白さ。
もとのコメディア・デラルテの要素を生かした衣裳、また歌舞伎の身振りなども取り入れた
アクロバットな動きがとても表現豊かでした。舞台装置は円形のセットで
あたかも道化師や手品師が跳ね回るサーカスを見ているような息もつかせぬ楽しさ。
照明係も道化の衣裳をつけて、舞台装置の欄干にもたれて歌手の演技を見ながら
照明を動かします。
デフローさんの演出は今までに何度か見ているけれど、これが一番美しく、面白かった。
写真も何枚かあるのでよかったらどうぞ。>> こちら。

お話も分かりやすい内容だし、見どころ満載なのでまたまた子どもにも大人気。
幼稚園ぐらいの女の子が幕間の時間に、バーでお酒を飲んでいるお父さんの足もとに
まとわりつきながら、主役の「ア~ア」のアリアを身振りごと真似して歌っていました。
けっこう難しい音程だと思うんだけど、お見事!目が合ったのでニコッと笑ってあげると
恥ずかしそうにお父さんの影に隠れてつつ、でもまだ踊り足りないと見えて
そのあとも向こう側でいつまでも 「ア~ア、ア~ア」 と踊っていました。

ではでは、どうぞ皆様楽しいクリスマスをお過ごしください。
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by veronique7 | 2005-12-24 05:35 | オペラ
ショスタコーヴィチ 『鼻』
マリンスキー劇場の引越し公演をオペラ座で観てきました。
ショスタコーヴィチ 『鼻』
ヴァレリー・ゲルギエフ指揮

ポップでキッチュでサイケデリックで面白かった。お話はゴーゴリの 『鼻』 で
鼻をなくしてしまった男がそれを取り戻すまでの顛末を描いたもの。
鼻がなくなるなんてことはありえないのだけど、そのありえなさを舞台で
どう描くのかなぁと思っていたら、パントマイムの登場。
上から下までひとつづきの白い伸縮自在の布にくるまれた人が 「鼻」 でした。

鼻をなくした男は、他人のパスポートと一緒に 「鼻」 を手に入れて
(だいたい 「道に鼻が落ちてたから拾ってきた」 というのですからめちゃくちゃです )
自分の身にくっつけようともがくのだけど、白い布にくるまれた 「鼻」 は
好き勝手に動いてなかなか一体化してくれません。
他人のアイデンティティーを切り貼りしても自分のものにはならないということだね。

この 「鼻」 の踊りというのか、身体表現がみごとで
びょーんと身体が延びたり縮んだりすると、なんかムンクの 『叫び』 のような恐ろしい感じ。
しかもこの 「鼻」 は真っ白で目鼻が描いてないだけに、すっごくこわいのです。

ショスタコーヴィチの音楽はとても好き。
「ガックシ。」 とか 「がーん!」 とか 「しょんぼり。」 というような滑稽な感情を
楽器で表現するのがとても上手ですね。
そういえばわたしの好きなシューラ・チェルカスキーのアンコール集にも
ショスタコーヴィチのバレエ音楽 『黄金時代』 が録音してあって
あまりのユーモアに聴衆の忍び笑い (チェルカスキーが弾いている間) や
どよめき (演奏後) が聴こえてきて大好きな曲です。

それにしても、日本人としては 『鼻』 といえばやっぱり芥川龍之介。
ゴーゴリの話と関係あるんですかね? ないか。どなたかご存じの方教えてください。
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by veronique7 | 2005-11-23 04:12 | オペラ
パトリス・シェローによる "Così"
パトリス・シェローが続いております。

オペラ座 (ガルニエ) にて
モーツァルト 『コシ・ファン・トゥッテ』
指揮 : Gustav Kuhn / 演出 : Patrice Chéreau
舞台美術 : Richard Peduzzi

女たちの誠実さを試すために、男たち自らがアラビア風の扮装をして
オリエンタルの男に化けて女たちを誘惑する。
異文化に対する優越感と憧憬がないまぜになって生まれる滑稽味。
フランス人にとっては、これはモリエールの 『町民貴族』 以来
たえず繰り返されてきたテーマで、普通に扱えば飽きあきしてしまうところですが
この舞台、オリエンタルをさらに押し進めて
極東に至った感じがありました。
(実は先日の映画でもそれを感じさせるものがあり、パトリス・シェローは今
アジアっぽいものにどことなく興味を持っている感じ…)

言い寄ってくる恋人にデスピーナが平手打ちをくらわすところでは
それと同時に召使が顔を出して、拍子木をパチン!
歌舞伎の効果音みたいじゃないですか。

召使が膝を曲げて小走りに舞台を行ったり来たりして
人物にひょいと椅子を出してあげたり、絨毯をびろーんと
広げたりする。そして腰を曲げてシャシャシャと去っていく。
なんか、黒子というのか後見というのか、日本の古典芸能の
裏方さんの動きにそっくりなのであった。

オーケストラボックスの両端に桟橋みたいなものが架けてあって
客席から登場してきた歌手が見栄をきったり
カメラ目線になって 「どうする?」 と肩をすくめてみたり、
歌舞伎の花道のように使われていた。
(本来の花道は舞台の下手にしかないけど)

そこで歌手が歌うと、歌手の立ち位置とオケの場所が重なるので
音楽がグンとひとつになって聴こえてくる。
不思議にすいこまれちゃうのであった。

舞台セットは、劇場の稽古場を再現したようになっていて
正面に大きく VIETATO FUMARE (禁煙) なんて書いてある。
はしごがいくつも立てかけてあったり、
出入り口の上には緑色の "ピクトさん" による非常口まで。
両脇にバルコニーがついていて
演技が直接ついていない歌手は、そこから
舞台の中心で練習しているほかの歌手を眺める、という感じ。
このバルコニーは客席の方のバルコニー席と高さが一緒なので
観客は本当に、稽古場を見学しているような錯覚におちいる。
もちろんこれは、話の内容とちゃんと合っていて
ドン・アルフォンソがデスピーナとドラベッラの話を
立ち聞きしたりするのに使われている。お見事。

観客は稽古場を見学しているのか、それとも
イタリアの裏路地でささやかれる噂話や恋の誘惑を
2階の裏窓から身をのりだして見ているのか ――

そこかしこに、パトリス・シェローの視線と息づかいが脈打っているのが
感じられる、温かみのある、そして深くてほろ苦い舞台でした。
こういう渋いモーツァルトもあるのね。

舞台装置のペドゥッツィ氏は、
リュック・ボンディやウィリアム・クリスティと組んで
去年、『ヘラクレス』 を手がけた人です。
色あいがとてもパトリス・シェロー好みだと思う。
展覧会の内装も手がけているそうですよ。

考えてみたら、女の不実をためす、女は分からないものだ
というのはパトリス・シェローが撮る映画の一貫したテーマでもあります。
「もうオペラはやらない」 と言っていた彼をこの作品で呼び戻した
モルティエ総監督の采配にも万歳!! といったところ。

当初、指揮はダニエル・ハーディングと決まっていたのだけど
ダニエル君では音が若すぎてパトリス・シェローのキビシイしごきには
耐えられないんじゃないかな… と思っていたら
案の定、本当に指揮者が交替になってしまった。
ごめんね、ダニエル君。笑
君はこういうモーツァルトを振るにはまだまだこれから。
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by veronique7 | 2005-10-10 01:33 | オペラ