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voice training
先日、学生時代からお世話になっているヴォイス・トレーナーの先生のところへ
ひさびさにレッスンに行きました。

v : 先生、私、ずっと歌ってなかったせいなのか、年をとったせいなのか、
自分で予習して頭の中で音楽を作っていって、いざ練習場で学生の子たちの
声を聞くと、彼女たちの声があまりにフレッシュなのでびっくりしてしまうんです。
私、前に立つのが自信がないんですけど・・・

h : どれどれ。聞いてみましょう♪

(発声練習をする私)

h : vちゃん。私の知ってるvちゃんの声じゃないわ。違っちゃってるわ。

動揺する私。
日本に帰ってきて、誰もが私のことを懐かしそうに見て、「変わらないね~」 という。
「フランスに行ったのに、ちっとも外国帰りっぽくなくていいわぁ」 という。
良い意味でそう言ってくれていると分かっていて、そのことに感謝しつつも、
(ちがうのに。あんなにいろんな思いをしたのに変わってないはずがない)
と私はずっと思っていた。

誰も言わなかったそのことを、h先生だけがひと声で言い当てたのだった。

h : vちゃん。自分の声とみんなの声が違って聞こえるのはね、
vちゃんがフランス語の位置のまま日本語を話しているからです。
やめなさい。
日本語はもっと前で話すの。
もっと泥臭く!

あの上品なh先生が私なんぞに 「泥臭く」 というご注意はないだろう、
と内心おかしかったが、笑っていたらつかみかけていることを逃してしまいそうで
私は歌い続けた。

すると10年前に歌っていたのと変わらない声が戻ってきたのだった。

h : 分かったわね。フランス語の位置にとどまっていたらだめってこと。

v : はい。霞の中に住んでいたらだめってことですね。

h : そうよ。現実の中に入っていきなさい。

そういって先生はレッスン室の扉を明け、私を外へ送り出した。

フランス語より日本語が泥臭いとか、そういうことではない。
日本にいる日本人なのに、そのことに足を突っ込まないで外国語の中に
いるっていうことが、泥臭くないのだ。
当然やるべきの、当たり前のことを私がやっていない、ということが
泥臭さが足りないということ。

レッスンで体力を使い果たしたのか、暑さで参っているのか、
茫然と私は駅へ向かった。
電車に乗って広告を見る。本を読む。

すると信じられないことが起きた。

今まで聞いたことのなかった、「日本語の声」 がしっかりと聞こえてきたのである。
文字の前にかかっていた薄幕がはがれ、活字がしっかりと浮き上がり、
日本語固有の母音が聞こえてくるのだった。

そしてこの経験は、数年前にフランス語でこういうことが起こったときと
全く同じ過程をたどっているのだった。

まだまだ先生から学ぶことがある、と確信した一夜でありました。
by veronique7 | 2008-08-14 00:01 | 日記


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