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モーツァルト 『ドン・ジョヴァンニ』
モーツァルト 『ドン・ジョヴァンニ』 オペラ座にて
指揮 Sylvain Cambreling / 演出 Michael Haneke

ドン・ジョヴァンニは単なる女好きではないということがしばしば言われる。
でも、女好きでなかったら何なのか、という問いの答えは
あまり明確には与えられてこなかったようだ。

モーツァルトの 『ドン・ジョヴァンニ』 は現代消費社会を予告する作品だとわたしは思っていた。
次から次に女を奪い去っていくドン・ジョヴァンニは、
飽くことなく消費に走る (走らされている) 現代人にとても似ている。
消費行動が自己顕示に他ならず、その裏側に自己顕示によっても自我をたしかめられない
不安が隠れているところもそっくりである。
このオペラの圧倒的なテンポ感は、たえず湧き上がる不安や焦りに脈打つ
わたしたちの心臓の音のように聴こえてくる。

と思っていたわたしには、ハネケ監督の挑戦的な演出はとても面白かった。
設定を今日の大企業におきかえ、高層ビルのなかで起こる殺人事件を観客は目にする。
ドナ・エルヴィーラはかつてドン・ジョヴァンニと一緒に仕事をした同僚であり
ドナ・アンナは企業トップの娘で婿 (これがオッターヴィオ) をとることになっている。
ドン・ジョヴァンニのアシスタントであるレポレッロは、電子手帳を読み上げながら
上司ドン・ジョヴァンニに関する 「カタログの歌」 を披露する。
ツェルリーナとマゼットのカップルはビル清掃会社の社員である。

役員が社員を好き勝手に扱う残酷さ。
消費行動とは持てる者が持たざる者から奪うこと。
持てる (もてる) 者の驕り。傲慢さ。

ドン・ジョヴァンニは女たちを奪うだけでは物足りず、なんとこの演出では
マゼットの唯一のアリアまで奪って自分の歌にしてしまうのだった。
マゼットの素朴な歌がここでは、レポレッロにドナ・エルヴィーラを横取りされた
ドン・ジョヴァンニのかすかな嫉妬を表現する。

アリアの合間に吹き抜けロビーの大きなガラス扉を開けて、ドン・ジョヴァンニは
夜の高層ビル街の虚空をのぞく。
高速道路の車の音が聞こえてくるのみ。
その音は、自分の内なる深淵をのぞいている彼の不安や焦りのよう。

ドン・ジョヴァンニが繰り返す否定の « NO » はその深淵を否定する声である。
彼は自分で自分の生きている時間を拒絶し、不安や焦りから生まれる音楽を自分でさえぎり、
かくしてドン・ジョヴァンニの声は虚空に消えていった。

愚かで美しい音楽が終わる。

(追記)
レポレッロ役のルカ・ピザローニ。
5年ほど前に 『魔笛』 のパパゲーノを歌って、そのときはまだ少年のように
若い声をしていたのに、今回はすごく成熟したバス (・バリトン?) になっていた。
こういうのってとても嬉しい。
by veronique7 | 2006-02-17 06:49 | オペラ


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