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20年後
再録です。(2004年9月17日)

小学校のときに一緒にピアノを習っていた幼なじみが
ヨーロッパ旅行のためパリに寄るという。

待ち合わせ場所で分かるかなあ…との心配は杞憂に終わり
お互いに開口一番

  わぁー。お母さんにそっくりじゃない?

わたしの母は高齢出産だったので、当時すでに40代半ば。
だからさすがに当時の母親の年齢、とはいかないが
でも確実にそこへ近づいている。
そりゃーね。20年もたったのだもの。

一緒にピアノを習っていたとはいえ、小学校も違ったので
週一回のレッスンのときにしか会わない。
何をしゃべっていたか、も実はあまりよく覚えていないのだ。

覚えているのは、駅から先生のお宅までの長い坂道。
(長かったように思えるだけで、本当は短いのかもしれない)

途中に高校野球で有名な学校があって、お兄さんたちが
とてつもなくコワかったこと。
(今じゃ高校生はカワイイだけ!!)

お宅の鉄の重い門扉の模様、
レッスンのお部屋の長椅子のさわり心地。
待ち時間をじゅうたんの毛足で遊んだこと。
先生のヒステリー。これもコワかった…
五線譜の横長のお帳面の表紙の色。
ヘンなことしか覚えていない。

わたしが小学校6年で東京へ引っ越すことになったとき
彼女からの餞別に手紙が添えてあり
「これからは一緒に練習できなくて残念です。」
というようなことが鉛筆で書いてあった。

  いい友達だったのにね。

「友達」のところがちょっとかすれて消しゴムで
消したあとがあり、その下にうっすらライバルという字が読めた。

もちろん彼女を悪く言うつもりはなくて、そんなのは
子どものけなげな競争心でしかないのだから。
でも意外に思った。

先生はいつもわたしたちをセットにして、同じような曲を
選んで練習させていた。
彼女の方が明らかにちょっと上手で、技術的に難しいことも
彼女には難なくできるのだった。
たとえば右手と同じように左手でも細かい音符が弾ける、とか。。。
たいていは、彼女が先に稽古していた曲を、わたしは
何ヶ月か遅れで練習していた。

わたしが彼女をライバルと思うならともかく
彼女がそんなことを思っていたなんて。
そして控えめにそれを取り下げたという、その子どもらしいような
子どもらしくないような節度にも
かるく不意打ちをくらった気分だった。

わたしは特に返事もしないまま東京へ行ったように思う。

そのあともそれぞれに引越しが重なり
大きな地震もあったし、環境が変わるたびに
もう連絡がとれなくなるかも…と思いながら、それに
もっとずっと親しくてそれきりになった友達も多いのに
なぜか彼女との年賀状のやりとりだけは続いた。
そんな昔の友達は他にはいない。

いつかそのうち、会いましょうね、と
かならず年賀状には書くのだったが
彼女の住んでいる関西を訪ねる機会があっても
わたしはその時その時に親しい人と遊ぶのに忙しく、
再会の機会をつかむまでに20年もかけてしまったのだった。

連絡をとりつづけたのも
会わずに過ごしてきたのも、どちらも
彼女の手紙がかすかに気になりつづけたから。
と今では自分のことがよく分かる。

彼女は自分が書いたことを覚えているのか覚えていないのか
昔と変わらず、少年のような風貌と
ちょっとハニカミやの困ったような表情をしてそこにいた。
でも20年の間に確実に何かを身につけて。

飲んだり食べたりしゃべったり、楽しく過ごして
彼女は翌朝ほかの国へ旅立っていった。
きっと、またどこかで会う機会がやってきそう、と
愉しみに思っている。

大人になるというのは実にいいものだ。

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頂いたコメント

■ いいお話ですね。
帰郷の折など、街角の古びた商店に、数十年前と同じお爺さんが店番してたりします。で、よく見たら二代目。
その横丁を曲がると、全くここがどこなんだか、故郷を出た身には戸惑うような新しい町が拡がっているのですが。

いやそれはそうと、「大人になるというのは実にいいものだ」。けだし名言なるのなり。
盡頭子 (2004-09-17 11:04:22)

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■ 名言というか迷言
盡頭子さん、こんにちは。ご無沙汰していましたがお元気でしたか?
コメントありがとうございます。

20代前半に通っていたゆる~い雰囲気の喫茶店に
三代のご主人がおられました。
三代目は隔世遺伝でお父さんよりおじいちゃんの方にそっくりですが
その一代目、すんげえカッコイイ迫力のおじいさんで
三代目があのようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。

「大人とは実にいいものだ」って、そういえば盡頭子さんのところでも
同じようなことを書いてらっしゃいましたね。
妙に実感がこもってしまうのは、すくなくともわたしの場合
現実の世の中では「大人になるって実にややこしいものだねぇ」
と思う場面がほとんどだからです。冷や汗。

ではまた盡頭子節を楽しみに読ませていただきます。
veronique (2004-09-20 01:51:58)
by veronique7 | 2004-09-17 05:16 | ひと


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