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迷宮の出口
再録です。(2004年8月16日)

ミルポワ Mirepoix の朝市に寄る。

ごったがえす朝市の広場をひとまわりした後、例によって
あまり期待もせずに、広場に面している教会に入ってみた。

変な教会だ。

天井はロマネスク特有の広々としたアーチを
ゆるやかに描いているのに、
両脇にならぶ小さいチャペル部分にはゴシックの
とがった梁がある。
入り口の上の部分には、ロマネスクの石の積み方がわずかながら
残っている。多分最初はロマネスクの教会だったのを
後になって両脇の部分だけ壊し
ゴシック様式を取り入れたのだろう。

ぐるりと内部を見て、最後に絵葉書を売っているところに来た。
絵葉書の中に、迷宮の模様に彩色された舗石の写真がある。

迷宮 Labyrinthe は、ギリシャ神話のラビュリントスのお話を
キリスト教的に解釈したもので
人間を迷宮に幽閉されたテセウスにたとえる考え方が
中世に生まれた。
神話をとりこむことによってキリスト教が伝播した
といったところだろうか。

それで中世以降、この同心円状の迷宮のモチーフは
各地で巡礼の象徴として、教会の舗石に用いられてきた。
シャルトルの大聖堂にはそのかなり大きなものがある。

ところでこの葉書を裏返すと、少々不思議な一文が書いてあって

  ミルポワの大聖堂 ---聖アガートのチャペル 1537年---
  の迷宮は、教会の床に設置されたフランス最後の迷宮、
  そして西洋全体で最後の迷宮である。

ふぅーん。「最後の」 っていうのがミソだな、とわたしは思った。

1537年というのは、もうルネッサンスの時代に入っているけれど
多分、この教会は中世の最後の残滓なのだろう。
迷宮のモチーフが次第にすたれていくにつれ
純粋に宗教的な目的での巡礼も
終わりを迎えたのではないだろうか。

迷宮のモチーフに代表されるような
いかにも中世的なものの考え方、
神話をキリスト教の秩序のなかで解釈する手法は
用いられなくなったのだろう、と思う。

やがて神話は神話として再生 (= ルネッサンス) され、
人が人として解き放たれる時代がやってくる。
個性ゆたかな王様や藝術家が歴史に名を連ねるようになる。
ミルポワの教会の奇妙な様式混交は、その歴史の大きな転換点を
示すものなのかもしれない。

しかし、教会のなかを何度も歩いてみたのに
絵葉書にあった迷宮の模様は、ついに見つけることができなかった。
もう壊されてしまったのだろうか。
でも写真になっているからには、現代まで残っていたはず…
迷宮の迷宮入り。

この日は何もかもが迷路に迷ったような一日だった。
ピレネー山中のカタール派 (これも中世の異端の一つ) の要塞
モンセギュール城 Montségur へハイキングがてら出かけたのだが
晴れていたら、ピレネーの山の上から絶景が見渡せただろうに
わたしたちはただ深い霧に包まれて、要塞の上を歩いただけだった。

山を降りて、アクス・レ・テルム Ax-les-Thermes を通ると
「水・温泉」 という町の名前の通り、中央の広場に温泉が湧き出ていて
みんな足を入れて休んでいる。
歴史の迷宮から出られたことにほっとして、わたしたちも思わず
足湯の長居をしてしまったのだった。極楽極楽…

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ところでミルポワって聞き覚えのある単語だよなぁ、
どこか食品メーカーのカレールゥの名前がたしか…??
と思って調べてみると、
普通名詞の mirepoix は料理用語になっていました。

「さいの目に切ったニンジン・タマネギ・エシャロット・ハムなどを煮たもの;
ソースや料理にこくをつけるのに用いる」 (旺文社 ロワイヤル仏和辞典)

おそらくこの土地の貴族だったミルポワ公爵の名前から来ているのでしょう。
Google 検索してみると、日本でフランス料理店の名前になってもいるようです。
by veronique7 | 2004-08-16 04:51 | フランス


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