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見えない電話線
再録です。(2003年10月19日)

火曜日に地下鉄に乗ったときのこと。
夕方でしたので、みんな疲れた顔をして結構混んでいました。
どの駅だったか忘れましたが、女の子が携帯電話で
話しながら乗ってきました。

パリのメトロは地上を走ることもあるせいか、携帯電話の電波自体が強いのか
地下でも携帯が使えることがあるみたいです。
そして自己責任で自分のやりたいようにやる、という流儀の国なので
わりと堂々と大声で携帯でしゃべります。
周りの人も 「どうぞお好きなように。フン」 といった感じの
そ知らぬ顔をしていることが多いです。
この 「どうぞお好きなように(=アタシは関係ないわよ)」 というのは
過剰な個人主義と過剰な礼節の国、フランス人の口癖です。

その女の子も 「元気?いまどこにいるの?わたしメトロのなかなんだけど…」
と話します。
そのとき、もうひとつ、大きな声がかぶさって聞こえてきました。

  ―― ああ、わしだよ、わし。メトロの中なんじゃ。
     どうじゃ、そっちは。今日飯、何喰うよ?

振り返って声の主を確かめると、SDF のおじさんでした。
SDF とは Sans Domicile Fixe の略で、住居不定者のことをこう呼びます。
そのおじさんは加えてアルコール中毒でした。
ビール壜をかかえて、おじさんが喋るたびに酒臭い匂いがただよってきます。
おじさんは酔いにまかせて、女の子の携帯電話を真似してからかっているのでした。
女の子は自分の声が聞こえなくなり、ますます大きな声でしゃべります。

  ―― ああもう、メイワクよねー、こういうおっさん。

とわたしは向いに座っているマダムと目で話しながら
後ろを振り返ってその SDF を見ました。

なんとおじさんは、自分の靴を脱いで、その悪臭漂う大きな靴を耳に当てて
しゃべっているのです!

最初は迷惑そうな顔をしていた周りの人たちも、必死で笑いをこらえています。
わたしと前のマダムは少し離れた席だったので、涙が出るほど
おなかをかかえて笑いころげました。
なんかこういう、捨て身のご愛嬌って好きですね。たとえ SDF でも。

ムッシュー・SDF は 「飯何喰うよ?」 などと言ってたけど
家族も友達もないでしょうし、あの日のお夕飯も
抱えていたビール以外にはなかったかもしれません。
電話をまねっこする自分をネタに笑いをとることで
ようやく自分と社会をつなぎとめている。
社会とのつながりを模倣するということでしか
自分が社会に属することを確認できない。
涙が出るほど笑いながらも、ぼんやりと彼の深い孤独を感じました。

汚れた大きな靴から伸びる見えない電話線は
社会とつながるほとんど唯一の手立て。
どんな人も、社会の一構成員なのだと改めて思った一日でした。

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頂いたコメント

■ つながり
bonsour!こちらは夜なので…スペルはあってますか?フランスに憧れ大学では第2外国語は仏語をとっていましたので、久しぶりに使ってみました。

怪訝になったり不快を感じても、最後は笑ってしまう…ユーモアと感じてしまう…というのは、今の日本の車内で出来ることかしら?にやにやしても、他人の目が気になり、veroniqueさんとマダムのように笑い転げれないと思います。そしておじさんの策?と知りながら乗客一同きちんと笑ってあげるのも、なかなか出来たことではありませんよ。
想像する光景が、なんだか映画の1シーン(ビリーワイルダーあたりで)ぽくて、微笑ましく感じました。

それにしても、「どうぞお好きなように」…ちょっぴり私の母もそうです(笑)前世はフランス人だったのかしら?!
Kinue (2003-10-20 20:09:36)

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■ 私は・・・
veroniqueさんもKinueさんもこんばんは。

私はこの日記、ちょっとドキッとしました。
専業主婦になってからずっとずっと心の隅っこで気になっている「社会とのつながり」。今の私もムッシュー・SDFの靴の電話のようなことをしているかもしれない、靴の電話なしでは社会の一員として存在意義を実感できないかもしれない、などと思ってしまったのです・・・

なんだか卑屈な人っぽくなった上、これってveroniqueさんの意としたこととは全く別の次元の話でゴメンナサイなのですが書かずにはいられなくって。だからって私、暗い人じゃないんですよ。念のため。

paulista (2003-10-20 20:44:18)

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■ 本当は誰でもみんな
Kinueさん、paulistaさんこんばんは。
いらしてくださってありがとうございます。
お二人の感想、どちらもうんうんと肯きながら読みました。

日本にいるときから、滑稽な映画の一場面のようなハプニングによく遭遇しています。楽しんで暮らしています。日本の電車内もけっこうオカシイですよ。

paulistaさん、そうなのです。地下鉄を降りてから何となくシュンとしてしまったのはやはり、靴耳おじさんの寂しさと外国人のわたしの寂しさがどこかで重なるものだからでしょう。
わたしもどこかでそうやって見えない糸電話を使っているのかもしれません。
でも本当は外国にいようと日本にいようと、誰でもが見えない糸電話と孤独を少しだけかかえて社会につながっているような気がします。またそれでこそ社会の一員でありえるように思います。

(こんばんはは Bonsoir です。ちょっと違いました。残念!)
veronique (2003-10-21 01:00:06)
by veronique7 | 2003-10-19 04:12 | ひと


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